ランボーはフランスの詩人 [フランス・詩人・人物]
(1854―91)0月20日、北フランスのアルデンヌ県シャルルビル市に生まれる。
陸軍大尉の父と、近郊ロシュ村の小地主の出の母との間の次男であるが、父は任地にいて不在がちのうえ、ランボー6歳のとき以後は戻らず、兄妹とともに母一人の手で育てられた。
厳格勤勉で気位が高く、極度の敬神家であり、乾いた性格のこの母親の存在は、詩人の幼時に強い影響を及ぼした。
最初、ブルジョアの子弟の多いロサ学院に入学、2年後に市立シャルルビル高等中学校に転校し、ずぬけた秀才ぶりを発揮するが、模範的優等生として数々の優等賞を得たりしていたランボーは、1870年、若い詩人教師ジョルジュ・イザンバールGeorges Izambardが担任として赴任してきたころから、母親の期待に背いて変貌(へんぼう)し始める。この教師のさまざまな援助と影響下に、旺盛(おうせい)な読書欲を満たす一方、最初の詩作を雑誌に投稿したり、パリの詩人に送り付けたりするようになり、やがてプロイセン・フランス戦争開始で戦火が街に迫ると、生活も荒れ始め、前後3回にわたって家出して各地を放浪。
その間の詩23編は、2冊のノートに清書されたものが知人に託されていて、後世に残ることになった。
これ以後二度と学校には戻らず、続くパリ・コミューンに革命的情熱を燃え上がらせたり、街の図書館であらゆる本を読みあさったり、知的にも体験的にも大変貌を遂げたところで、イザンバールならびに知人のポール・ドメニーPaul Demenyに宛(あ)てて、自己の詩的理念と方法を述べた手紙を送る。
陸軍大尉の父と、近郊ロシュ村の小地主の出の母との間の次男であるが、父は任地にいて不在がちのうえ、ランボー6歳のとき以後は戻らず、兄妹とともに母一人の手で育てられた。
厳格勤勉で気位が高く、極度の敬神家であり、乾いた性格のこの母親の存在は、詩人の幼時に強い影響を及ぼした。
最初、ブルジョアの子弟の多いロサ学院に入学、2年後に市立シャルルビル高等中学校に転校し、ずぬけた秀才ぶりを発揮するが、模範的優等生として数々の優等賞を得たりしていたランボーは、1870年、若い詩人教師ジョルジュ・イザンバールGeorges Izambardが担任として赴任してきたころから、母親の期待に背いて変貌(へんぼう)し始める。この教師のさまざまな援助と影響下に、旺盛(おうせい)な読書欲を満たす一方、最初の詩作を雑誌に投稿したり、パリの詩人に送り付けたりするようになり、やがてプロイセン・フランス戦争開始で戦火が街に迫ると、生活も荒れ始め、前後3回にわたって家出して各地を放浪。
その間の詩23編は、2冊のノートに清書されたものが知人に託されていて、後世に残ることになった。
これ以後二度と学校には戻らず、続くパリ・コミューンに革命的情熱を燃え上がらせたり、街の図書館であらゆる本を読みあさったり、知的にも体験的にも大変貌を遂げたところで、イザンバールならびに知人のポール・ドメニーPaul Demenyに宛(あ)てて、自己の詩的理念と方法を述べた手紙を送る。
update:2010年01月30日
